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  • 2008.06.13 Friday
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悪夢の冷めぬ中

夢からさめたのかどうだかわからない。

これは本当の現実なのか
なんか悪い夢を見ているのか

わからない。


衝撃が強すぎて、本当なら頭の中は真っ白だ。
でも、彼女の家族の前だから
僕は、いつもより余計にしっかりしなきゃいけない。


冷静になれ。冷静に。

なんども自分に言い聞かせた。


彼女の両親から、医者が説明した内容を聞いた。

彼女の状態は最悪の状態ではないことを確認する。

決して「死」にはつながることではない。
手術が成功すれば、すぐに退院できること。

その話を聞くと、やっと少し冷静になれた。


彼女を慰める言葉も、やっと見つかった。


彼女も落ち着きを取り戻したあと、
両親が病院を後にした。


消灯時間を過ぎたころ、
ちょっと嫌な感じの静けさの広がる、
病棟の薄暗い待合室で、彼女と何時間か話した。

なにを話したのか、良く覚えていない。

彼女は翌日の手術を迎えるのが不安で、
そして「がん」という病気に対する不安で、
少しでもそばにいてほしかったんだと思う。

見回りの看護婦さんが、待合室の前を何度も横切って、
遅くなっても話している僕らの姿を見て、
やさしく声をかけてくれた。

「手術の前は不安ですよね。」

「消灯時間過ぎてるけどまだここにいて大丈夫ですか?」
と聞くと、

「大丈夫ですよ。よかったら彼氏さん泊まって行きますか?
 布団用意出来ますよ。」
と。


でも、彼女は寝る時は病室に戻る訳だし、
暗い病院の待合室で、1人で寝るのは正直ちょっとこわい。
それに家に帰って少しゆっくりしたい気持ちもあった。

本来なら、泊まってあげてもいいはずだけど、
その時の僕には、そんな「やさしさ」が不足していた。

自分の気持ちもプライドも、
何もかも投げ捨てて、人に「やさしさ」を与えるという事。


翌朝、たしか手術の開始時間は朝9時くらい。
その前に色々と手術の準備に入るから、
手術開始1時間前くらいには会えなくなる。


7時半くらいには病院でと、
彼女の両親と待合せの約束をしていた。

当時、昼前にいつも起きていた僕にとっては、
朝7時とかに起きるのは相当早起き。

「明日、朝早いからね。」と、

彼女が1人寂しく不安を抱えて眠りにつく病院を背に、
僕は車を家路にと急がせた。


悪い夢

忘れない光景。

今でも鮮明に思い出せる。


部屋の扉が開くと、暗い病棟の廊下に、
部屋の中から光がスーっと延びた。

彼女と両親が部屋から出てきた、
部屋の中に向かって一礼して扉が閉まる。

光は閉じられ、暗闇が再び広がる。
静寂の中に、扉が閉まる音が響き渡った。


15メートルくらいは離れていただろうけど、
振り向いた「その感じ」でもうわかった。

「やっぱり、、、」

嫌な予感は的中した。


待ちわびていた彼女のお姉ちゃんの子供は、
彼女の両親と、彼女が帰って来たことに
素直に喜んでいた。


3人が重い足取りでこちらに向かって来る。
一生懸命、たくさんの「何か」をこらえているのが遠目でもわかる。

彼女の母が涙をこらえて言葉を発した。


やっぱり悪性だって。
 
ガンだって。


病院の天井から、真っ黒な幕がバサッと下りてきたような、
そんな光景を記憶している。

ものすごく重い空気が体を締め付けた。

涙は出ないけど、震えに近い物を感じた。


これは現実だ。
夢じゃない。現実だ。


おそらく、子供や両親の前では弱い自分は見せまいと
気を張っていたに違いない彼女が、
ついに我慢しきれず、
座ってる僕の目の前で、膝からガクンと崩れ落ちた。

僕の膝に手をつき、顔を覆い、
気を張っていた緊張のその糸が切れたように、
声を上げて泣き始めた。


本当に耐えがたい光景だった。

暗闇に響き渡る嗚咽と静寂。


言葉が出ない。

体も動かない。


泣き崩れた彼女に

手をかけてあげることも

声をかけてあげることもできない。


そんな自分がいた。


経験したこともないこの状況を、
どう打開していいか全くわからならかった。

さすがに子供でも、このただならない状況を感じて
おとなしくなってしまった。

「大丈夫だよ。手術すればちゃんと治るんだから。
 死んじゃうわけじゃない。」
冗談をよくゆう彼女の父が、こう言った。

どうにかこの状況を打開しようという気持ちが良くわかった。


「そうだよ」

「そうだよ」

「大丈夫だよ」

と、みんなが続く。

家族もなんて声をかけたらいいのかわからず
戸惑ってる様子をひしひしと感じた。


状況を判断出来るはずもない子供が

「どうしたの?」と聞く。

お姉ちゃんはなんて言ったらいいのかわからない。
「泣かないで」って言ってあげてって言うのが精一杯。

「泣かないで」って彼女のもとに子供がいく。

彼女は顔を上げることができない。

子供の前で泣き顔は見せられない。
そんな様子をうかがわせながらも

それでも彼女は顔をあげることができずに
涙を流し続けた。


その状況が、なんだか余計に辛かった。









静寂の中で

ちょうど僕が仕事が休みの日だった。

病院にみんなが集まる。
僕、彼女の両親と、彼女の姉。そしてその2人の子供。

今日は検査の結果が発表される。
何時になるかはわからないけど、
結果が出次第。おそらく夜にはなるだろうと。

それまでの時間は、彼女の姉の子供の無邪気さが、
笑顔を誘い、少し重い空気を和らげてくれていた。


日が暮れて、暗くなるにつれて、
だんだんと待合室から人がいなくなる。
なかなか担当医からの声はかからずに、
待ち遠しい時間が過ぎて行く。

面会時間も過ぎて、消灯時間も近づいてきた頃、
ついには、僕らだけになってしまった。

病院は、面会時間を過ぎれば人がだいぶ減り、
看護婦や、医者が行き来することも少なくなる。
電気も徐々に消されていき、暗く、静かになる。

扉を開ける音がした。
静かな中に、医者や看護婦が部屋から出て来る時の
扉を開く音は、少しドキッとするくらい響く。

彼女の担当医が出てきた。
担当医が別の部屋に向かって歩いていく。
その途中、ついにとうか、やっと、
名前を呼ばれた。

彼女の両親と、彼女が病室に向かう。

僕と、彼女の姉と子供は待合室で待つ。


姉の子供は、なんだかんだで僕にじゃれついてきた。
静かな病棟に、子供の声は良く響く。

お姉ちゃんが静かにしなさいと子供を怒りながらも、
子供は無邪気に遊びをやめない。

お姉ちゃんとも、大丈夫だよねという
言い聞かせるような
会話をしたのを覚えている。


2、30分時間は経ったけど、まだ出て来なかった。
手術の説明も兼ねているから、
それで時間がかかってるのだろうと思いこんだ。


しばらく待つと、扉が開いた。


僕は、あの光景を忘れない。
今でも脳裏に焼き付いている。

まるで、映画やドラマのようなあのシーン。
でも、あんなに着飾られたきれいなシーンではない。

もちろん、フィクションでもない現実。

突きつけられた現実。

もっと、暗い、暗い感じ。

僕の記憶がその情景をさらに暗く
記憶させていたのかもしれない。








手術を迎えるまでの日々

手術の日が決まり、検査の毎日。

その結果を待ちながら、
それまでは入院で安静の日々。

婦人病の人が何人か同じ部屋にいて
話を聞くと、やっぱりほとんどの人達は
みんな2ヶ月くらい待って、やっと入院できたそうだ。

彼女は1ヶ月弱の待ち時間で入院出来て本当に良かった。
と、その時はただただ喜んでいた。

でも、よく考えたら、良性にしろ悪性にしろ、
腫瘍はかなりの大きさになっていて
まさに破裂寸前で。

それほど急ぐ状況だったのかもしれない。


その頃、僕の仕事は昼前に出勤、
夜は大体帰宅が夜10時前くらい。
残業がでればもっと遅い日もよくあった。

入院していた病院は、
当時住んでいた家から車で片道30分程度。

彼女が入院している病院まで向かう為には、
朝、いつもより早く起きるか、
夜、8時閉店の店を速攻で切り上げ、
急いで病院に向かうか、どちらかだった。


その頃仕事が本当に忙しくて、責任もある立場で、
休みも、自由な時間も少ない中で、
見舞いに行く時間は正直「めんどう」だと
思っていた部分があった。

それは仕事のセイだけではなかったかもしれない。

僕はまだ、人間的につめたい、さめた部分を持っていたんだと思う。

彼女を見舞う時間より、自分の時間も欲しかった。
自分本位で、「忙しさ」や「疲れ」を理由に
人のことをもっと考えてあげる事が出来なかった。


人の気持ちも、さみしさも、わかってるつもりだったけど
それ以上に、僕の中のいろんな「なにか」がそれを邪魔していた。


嫌な予感

入院してから連日、検査の毎日。

数種類の血液検査に始まり、レントゲンやCT。
体の細部まで調べる。

検査の結果が出るまでは普段なら数日はかかるが、
腫瘍の状態や大きさからいって処置が急がれるため、
通常数週間かかる検査結果も、
全ての検査が終了すれば、その翌日の夜までには
ほば結果が出るということだった。


少し、嫌な予感を感じた。


あくまで素人目から見てだが、
普通ならそこまで精密検査するかな
っていうとこまで検査していたし、
その間までの医師の発言も、
最悪の場合を普通よりは想定している発言が
多かったような気がしていた。

でも、「まさか」。

まさか彼女が。
そんなはずはない。

彼女に限って。
僕の彼女に限って。

悪性っていったら「ガン」だ。
まだ24歳の若さでそんなはずがない。
「ガン」ってもっと大人の病気でしょ??

きっと彼女も、彼女の家族も
こう思い、願っていたに違いない。


僕はひたすら、
この嫌な予感が当たらなければいいと思っていた。

入院

紹介状を書いてもらった先の病院からは
ベットが空き次第、入院、手術になると言われていた。

いつ連絡が来ても、すぐに入院が出来るように、
書類を用意したり、身の回りの用意をしたりしていた。


2004年8月下旬、病院から連絡が来た。

「ベットが空きましたので、準備をして病院に来てください。」

入院の手続きをして、婦人病の病棟へ。
病棟は10階。
6人1室の部屋はみんな婦人病で手術や治療をする人ばかり。

同じ卵巣腫瘍で入院してる人もいた。
その人は2ヶ月待ちだったらしい。

彼女の腫瘍はだいぶ大きくなっていたため、
入院の時期をだいぶ早くしてくれたみたいだ。

医者の診断の結果、早急に手術することが決まった。

細かい検査も受ける。
数種類の血液検査、レントゲン、CTなど。

通常の卵巣腫瘍なら、お腹に4、5カ所穴を空ける
腹腔鏡手術で済む場合が多いが、
彼女の腫瘍は5cm以上になっていることが明らかで、
開腹手術はやむない状況だった。

この時、医者から、
「卵巣腫瘍は良性の場合がほとんど。だけど、
 まれに悪性の場合もある。
 手術前の検査結果がでればわかります。」
と、言われた。

この時はまだもちろん、悪性だなんて思ってもなかったし、
彼女や彼女の家族、そして僕の心配要因は

ただ「手術」をすること。

自分たちで集めた情報では腹腔鏡手術で済むかと思ってたのが、
開腹手術になってしまったことが誤算なくらい。


ちなみに、
卵巣腫瘍というのは、無症状の場合が大半で、
女性の骨盤内で少しずつ大きくなっていく為、
日常生活では見つかりにくいらしい。

骨に囲われるので見た目の異常は出ない。
明らかに膨らみが出ていて、
見た目にもわかる位になっている時は
すでにその腫瘍はだいぶ大きいものだそうだ。

またそれが大きくなると、
いつねじれてもおかしくない状態になり
ねじれたときには激しい痛みが起きて、
とても我慢出来る痛みではないそうだ。

その間

入院までの1ヶ月間、
まだ結果を知らない僕らは楽観的な生活をしていた。

彼女は「退院したら仕事はどうしようか?」
なんて考えていたし、
久々の長い休みを、どちらかというと満喫していた。

でもやっぱり病気や、手術に対する不安は少しあった。

近くの本屋に行っては、
婦人病に関する本を何冊も読んだりして、
卵巣や子宮、またその周りの病気について二人で調べたりした。

おそらく卵巣腫瘍だろうといわれたので、
何冊もの本を、それについて調べたが、
卵巣腫瘍は良性の物がほとんどで、
悪性、つまり「ガン」の可能性はほとんどないと
書いてある物が大半だった。
良性だという確率はどの本でも90%を超えていた。

僕らは半ば、心配な気持ちを落ち着かせるように
その確率を頼り、もちろん信じた。

「ほとんど悪性の可能性はないんだから、大丈夫だよ。」

そしてまた、インターネットや知人などに聞いたりして
病気に対して焦る気持ちを落ち着かせていた。

その頃、僕が働いていた会社の社長は女性で、
その社長も卵巣腫瘍の経験者だった。しかも2回。
そういや、有名人でも結構いた。

彼女が大好きなhitomiとか、宇多田ヒカルとか
若い人もたくさんいた。

みんな良性。

みんな元気。

みんな元気に仕事に復帰している。


卵巣腫瘍は良性な場合、簡単な手術で回避出来る。
技術のある病院では、お腹に4カ所ほど
穴をあける程度で、切らずに取り除くことも出来るそうだ。
腹腔鏡手術という。

そしてその方法ならば、2週間もすれば完全に退院出来る。

そんなたくさんの情報を集めて、
たくさんの安心感を自ら積み重ねながら、
僕ら二人は入院の日を待った。



会社の対応

病院から帰ったその日、
彼女は勤め先の会社に電話を入れた。

医者からは絶対安静が言い渡されていて、
決して仕事が出来ない状態ではないが、
いつ、卵巣がねじれて激しい痛みが出るか解らない状態で、
来月にはおそらく手術をしなければならないであろう事。

それを伝えた。

そんな状態で売り場には立てないし、
仕事中に激しい痛みが彼女を襲えば、
その時には救急車を呼ぶことになるだろうから
店舗が入っているデパートにも、
多大な迷惑がかかることが予想される。

言わなくてもわかりそうな事も伝えた。

会社や仕事を大切に思っていた彼女は、
自分のことよりも、会社や、仕事のことを想って
こういう内容を会社に伝えていたんだと思う。


だけど

会社の対応は「NO」

「今、この場であなたにいなくなられては困る。」

店長という立場の彼女は、
会社にとっては重要な人材だった。

でもそれは人としてではなく、
売り上げを上げる「コマ」として。
僕にはそうとしかしか思えなかった。

こっちはそれどころじゃない。

「でしたら、今日限りで辞めさせて頂きます。」
さすがの彼女もこの言葉を出すしかなかった。

会社は半ば納得いかない感じでこれを受け止めた。


彼女は、あれだけ誠心誠意をつくし、
毎日朝から晩まで働いて、プライベートの時間も裂いて、
売り上げのノルマ達成のプレッシャーに耐えながら、
そこまでして長い間、尽くしてきた会社に、
一瞬で裏切られたような感覚を覚えただろう。


その会社はよくワイドショーなんかに取り上げられたりする。
TVでは社員を大事にし、社員に慕われる社長の姿がよく映る。
社員がプレゼントしたり、手紙を書いたり。
みんな社長を慕う。そしてそれを可愛がる社長の姿がある。

しかし、それはあくまで
会社の「コマ」として会社に貢献してくれてる時だけ。
そこを何らかの理由で離れれば、
その後は何のつながりもない。

僕はそれまはTVで流れる情報通りに、
「いい社長で、いい会社だな。」と思っていた。

でもこの事で本当の姿が見えた。

会社ってそんなもの?
仕事ってそんなもの?

僕は違うと思う。

ホントに社員や、従業員を想う会社なら、
そのときにせめて、何らかの形で連絡してきてもいいはずだった。

「大丈夫?」の一言だけでもよかった。

下っ端の新入りだったならまだしも、
何回も顔を合わせている本社の人達が、
辞めると言ったあと、何も連絡ない。

仕事がイヤだから辞めたんじゃない。
病気というやむない事情があったからなのに。

それでも、何の連絡もない。

心配してないわけ?

結局、全てが上辺のモノだった。


本当の会社っていうのは、上の人でも、下の人でも、
上下関係を関係なく、もっと人のことを想わなきゃいけない。

そうじゃない組織はモロい。

会社に限らず、家族とだって、
彼氏と彼女だって、友達とだってそうだ。

いざ、何か大きな出来事があった時、
そんな上辺だけのモロいモノは簡単に崩壊して行く。

どんどん上にあがっていく会社なんて、
ほとんどろくな所はないんだ。
それだけ何かを切り捨てて上にのぼってる。

売り上げや、業績を上げるだけの会社なんてクソくらえだ。
上辺だけで、部下を大事にしてる様に見せかける会社もクソくらえ。

そんな会社、辞めて当たり前。

あのまま無理矢理彼女を働かしていたら、
命を犯す危険だってあった。

あやうく殺人会社にならなかった
その会社は今でも業績を伸ばし続けている。

人という「捨てゴマ」を駆使しながら。

病院へ 〜その2〜

二軒目の医者で診断結果は出なかった。

それは、大きな病院で詳しく検査した方がいい
という結果であったので、
その場で最終的な結論は出なかったということ。

だが、これはかなり高い確率で子宮か卵巣の腫瘍であるし、
その腫瘍がだいぶ大きくなっているのは間違いなく、
少しでもはやく精密検査を必要とするだろう
ということだけは、はっきりと言われたらしい。

またその腫瘍のほとんどは良性なので
手術の必要はあるが、そんなに心配しなくていいだろう。
という見解だった。

腫瘍の場合、個人差はあるが、大きくなると
卵巣がねじれてものすごい痛みが発生するらしい。
なので、検査および検査結果が出るまでは
絶対安静を医者から言われた。

僕は仕事が終わってからその結果を聞いた。
もちろんその時は、僕も彼女もその結果を軽く受け止ていた。

手術することになるかもしれないから
手術するのは嫌だなとか、入院するのは怖いなとか、
仕事休まなきゃ行けないかな、なんて
そんな軽い話をしていた。


これは入院した結果、わかったことだが、
2軒目の医者はなかなか適切な判断と決断をしてくれて
近場で、最も有名で、技術もある大きな病院を紹介してくれた。

また、普通ならその大きな病院の婦人科は
入院まで2、3ヶ月待ちのところ、
一ヶ月も待たずに入院検査、手術するまで
こぎつけるように手配してくれた。

セカンドオピニオンって言葉があるけど、
みなさんも、体に異変が起きた時、
一つの病院ですべてを判断せずに、
近場でもいいから、数軒の病院へ行き、
診断してもらい、検査をし、
その結果のすべてを医者にゆだねるのではなく
自分で見比べて、良く検討するべきだと思う。

また、小さな町の病院でも
紹介状を書いてくれる先はそれぞれ違うので
紹介先の病院を良く調べ、よく検討、判断すべきだと思う。

もし、僕らが単細胞で、一軒目の医者で納得していたら、
その後、最悪の結果だって招きかねなかった。




病院へ

盆休みも終わり、
またいつもの日々が始まった。

休みが明けて一週間後、彼女は休みが取れて、
医者に行ってみることになった。
下腹部の膨らみは一向に治まる気配がなく、
押すと少し痛みが出てくるようになっていた。

一軒目にいった医者は、近場の地元の町医者。
保険証がない彼女は、医療費はもちろん100%負担。

レントゲンやCTを撮ってくれと彼女は言ったが
「高くなるからやめたほうがいい。」と医者に言われ、
(まあそれはもっともだけど)
診断では下腹部の膨らみが触ると痛いといっているのに
その部分をグイグイ押されたらしい。

その上、胃の異常と判断され、
胃薬を出されるという、なんともお粗末な結果だった。

その診断の後、彼女は仕事中だった僕に、
この結果を電話で伝えてきた。

「他も何軒かまわった方がいいだろう。」と伝えた。
もちろん最低限、そんな結果ではないとお互いも解っていた。






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